- コメ子の変身-
コメ子は一心不乱に食べていた。多分、コメ子は鰻で精力は増進しても発揮できない欲求不満を〈ゲゲゲの鬼太子〉に開放させたのかもしれない。しかし、アッカンベー攻撃を受けた〈ゲゲゲの鬼太子〉も泣かなかった。確かに泣いた鬼太郎も見たことが無い。ネズミ男はいつも泣いているが、、、
『名付け親の
ゆきこんこん夫妻は元気に仲良く暮らしているようだよ、、、』と缶詰ドッグフードで機嫌が良くなった
コメ子にイトシーが報告すると
コメ子は夫妻の紫陽花像をじっくりと眺めていた。
そして 急に振り返り、『母親の
ゆきこんこんさんには無償の愛があるからね』と坊さん口調で語った。一瞬、イトシーは面食らってしまった。
いきなり、犬に語られてしまったからである。それから続いて
『アハハハ、私は《掛けた女》を彫刻した男の生まれ変わりである』と低音の良く通る声が小川の橋上で鳴り響いた。またしても圧倒されたイトシー。
『エッ、もしかしてあの彫刻家の
中野四郎1901(M34)-1968(S43)さんですか』
'01年東京市京橋八丁堀に生まれ。’23年東京美術学校入学、木彫を高村光雲、塑像を北村西望に学ぶ。
'28年同校の研究科も卒業。第9回帝展に木彫「裸女立像」初入選、以降14回まで毎回入選。
'30年浦和町鯉ヶ窪(現常盤6丁目)に転居、アトリエを持たれた。'33年美術学校同窓生で九元社結成、同年の帝展に塑像を「春日裸女」 出品。'45年「戦士」として、炭坑夫像を全国的に造り歩くが終戦
'51年埼玉大美術科講師、同年森大造・村井辰夫・奥山泰堂と「創型会」結成。
’54カソリック入信、'61年埼玉県美術家協会副会長,'63年星美短大教授に就任
'68年狭心症で66歳で没す
【作風】晩年セメントによる裸婦像で生動感ある作品を残された。
『そうだよ、イトシー、、、《掛けた女》には無償の愛つまり、LOVE SUPREMEがあるだろう。簡単な言葉だけど中々、この愛を貫くことは難しいんだよ。エゴイズムの愛は間違ったプログラムである。エゴイズムの愛は人間を内面から破壊してしまうんだよ。私は掛けた女によって総体的な女性の無償の愛を表現したんだよ』
『僕は輪廻なんてことは信じない』
『確かに輪廻は有り得ない。しかしDNAはネズミ算的に時間軸を通して広がっているだけで同じDNAの時代があったことは事実なんだよ。また生命体に《エゴイズムの愛》も有り得ない、あるのは《無償の愛》だけなんだ。そろそろ、君の頭はチンプンカンプンだろうね。簡単に理解することはできないだろう』
『・・・・・・・・・・』
『そうだ。イトシー、、、輪廻のついでに中島みゆきの〈時代〉を唄ってくれないかい。そしたら私が究極の一発芸の〈鰻登り〉を演じて見せよう』
『イイよ』と唄うことについては単純に反応するイトシーだった。
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とイトシーが唄い終わると
『実は〈掛けた女〉の究極のモデルは
スイートの遠い親戚なんだよ』
『エッエッエッエッエッエッエッーーーー一体、どうゆうこと?』
『まー、、良いじゃないか イトシー、それでは秘術《鰻登り》だ。チチンプィプィ、チチンプィプィ』
するとコメ子の眼光が青白くなった。辺りもいきなりの真っ暗闇。イトシーは髪の毛が逆立つような驚きの中でも安いデジカメでかろうじてシャッターを切るチャンスだけは忘れなかったのである。
》》》 TO BE CONTINUED 次回期待 《《《
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